オヤジを偲ぶ
ブログに書くべきかどうか迷いましたが、やはり私にとっては大きな出来事だったので書きます。
11月27日、父が夜中、病院で亡くなりました。87歳です。
原因は病死です。
昔から糖尿病を患っていて、何度か入退院をくりかえしていました。
家は近いのですがコロナのこともあり、少し疎遠になっていましたが、ちょうど亡くなる一週間前に家に行くと
「お父さんが中納言(伊勢海老の店)行きたい!ゆーねん、最近、ちょっと体調も良くなってきたからなー」と母が私に話すので、
電車で三宮まで行くのもつらそうだし・・・「俺が車を出すわ、俺はノンアルで良いから大丈夫やで」と。
想えば、父、母、私の三人で出かけて食事をしたのは初めてだと思う。たぶん。。。
父はしっかり店でもお酒を飲んで、家に送り届けてからも少し一緒に呑んだ。
その一週間後って・・・。
ちょっと、偲びます。
どんなオヤジだったかというと
自分で個人で鉄工所を立ちあげた人で最初は馬小屋を借りて始めたと言ってました。
後年、一緒に呑んでは「こいつがなー中学の時、こいつのせいでワシが先生に呼び出された時に、ガーガーうるさいから『こいつは盆栽みたいに育ててないんや、雑草や!』ってゆーたったんや」ってウチの嫁さんとかいろんな人に自慢げに言う困った癖があった。私は20回以上聞いた気がする。
そのたびに『ただの放任主義やないか、自慢げにゆーなよ』というと『そーか、がっはっは』と笑いながら酒をまた飲む。
子供の頃、家でテレビを観てるとオヤジがパチッっとチャンネルを変える。
おいおい、俺、みてんのに・・というと『ワシのテレビや』って・・・。
このころから私は、絶対、早く仕事して金を稼いだる!と思った。思えば、子供が商売人になるためのオヤジの嫌がらせだったのだろうか。いや、ただの自分勝手なだけやな。
そんなオヤジだけど子供の頃、よく旅行とか連れてってくれた。
町工場だけど、良いときは儲かってたようで、納期が迫って間に合わないような時は兄と手伝ったことがある。
お前ら、旅行いきたかったら、徹夜で手伝え、さもないと旅行は中止やぞ・・・。
商売の為なら、嫁でも子供でも使え!というオヤジのポリシーだったようだ。
私が一人で起業するとき、父に相談にいった。
『俺、会社やめて独立するわ、100万貸してくれ。金利は●%で、●か月据え置きで』と自分から提示した。ダメならかめへん、他にアテはあるからと。
オヤジは秒で『よっしゃ』と母に100万用意するように言った。
そもそも100万くらいもっとけよ、という話なんだけど、ウチの嫁は『なんで父親に金利払うの?変な関係やな』と言っていたが、僕と父はそんな距離感が良かった気がする。
不動産業を始めるときも快く保証人になってくれた。
あああ、やっぱ涙腺がゆるむなー
これぐらいにしとこう。
夜中亡くなっって葬儀場に運ばれ、その日が我が社の新本社での大事な『24期経営方針説明会』だった。
きっと『次郎の大事な時とかぶって邪魔したらアカン、潔く逝こう』という優しさだったのだろうと僕は勝手に信じてる。
『オヤジ、ありがとう、向うでも呑もうな』
2022/12/07