寿司の学校
なんでも<寿司の学校>を半年間、通っただけでミシュランをとった店があるという。
たしかに、今時分、何年も修行して『見て盗め!』では、時間の流れが違う現在では、時間の価値が違うかもしれない。
効率を優先することは間違いじゃない。
っていうか、そんな修行を長年、耐えられる人がいなくなると、業界自体が萎んでいくだろう。
偉そうことを言ってるが、私自身が苦労人と言えるほど苦労はしてないし、修業期間が長かったわけではない。
どちらかというと、『効率』重んじるほうだ。
※小学校の時なんか、算数の宿題を母親の電卓でやってたもん(笑)
でも、<人>を相手に商売するとき、学校で技術や知識、考え方なんかを教えてもらって本当に、それで<半年で独立>していいんだろうか?
学校の先生はビジネスだ。教えて育てることが商売。たった半年間の。
寿司屋の大将への修行のソレとは全く違うと思う。
仕入れ先の魚屋の大将との付き合い方。困った時の義理人情。
人の口に入る『魚の目利き』。お客様との会話。仕事に対しての心構え。
新入り対しての指導、育成・・・
そんなことを半年で教えられるわけがない。
味だけなら、そのうちAIを使ったロボットが完璧な寿司を作るだろう。
人並み外れた(あたりまえか)、動きでシャリを握り魚を捌く。煮つけ具合や味付けなんか味見しなくても味センサーがあって完璧。お客様によって『好みの味、顧客管理』が出来てるので完璧、みたいな。
でも、僕はそんなもの食べない。
気難しそうで、それでいて優しくて男気溢れた最高の笑顔で、しっかりと心を込めて握ってくれたオヤジさんの店で食べたい。
メシは何を食うか?じゃなく、誰と食うか。
何を食うか?じゃなく、誰から食うか!だな。
2016/04/02